自己分析のための日記

浪人に失敗し底辺大学へ通っていた男が書いてます

無理しなくて正解だった

読者の方には、ここまでの流れを理解するのはダルいだけだし、「お前のことなんか、どーでもいいわ」ってカンジなのかもしれないが、まあ書かせてくださいよ。僕にはこのブログ以外で本音を言える場所がないので。

「カラオケで歌う曲がない、周りの友達はトレンディな曲を歌ってるのに俺はアニソンしか歌えん」
「近々、友達とカラオケに行く予定ができた。しかもメンバーの中には僕のことを『あいつアニソンしか歌わないんだよ(笑)』と話題にしているやつもいる」
「トレンディな曲を歌えるようになりたくて、CDをレンタルしてきてヘビロテして覚えようとする」
「1ミリも『良い曲だ』と思えない曲を覚えても、ただの苦痛でしかないことに気がつく。」
「もういっそ、人の目なんか気にせずに好きな曲を歌いまくろう。友達がEXILEを歌っている横で、俺は電波系のアニソンを歌いまくる!」と開き直る

ということで、ガッツリとアニソンを歌いまくってきた。結果を先に報告すると「無理しなくて正解だった」

みんなは西野カナとか歌ってたけど、俺はアイドルマスターとかプリパラとか歌いまくった。そしたら友達の中に「俺この曲聞いたことあるわ」って人がいたり(かなりチャラい人)、「いとこの小学生がプリパラ好きだから知ってるわ(笑)」みたいになって、『なんでお前知ってんのwwwww』ってなってかなり盛り上がった。

あと僕がアニソンを歌うと、なぜか採点で高得点が出るから、みんな爆笑してくれた。

「やる前は嫌で仕方ないことでも、やってみると何でもなかった」みたいなことってあるよね。今回もそのひとつで、行く前は腹痛とか出ていたのに終わってみると何でもなかった。

まあ今回は男友達しかいなかったからセーフだっただけかな。女の子がいたらドン引きされてたと思う。さすがに少しはトレンディな曲を歌えるようにならないとな。

とりあえず報告でした。

背伸びするのはやめる

前回「カラオケ行ってもアニソンしか歌える曲がない、周りの友達はトレンディな曲を歌ってるのに……」という内容の記事を書いたのだが、あれからいろいろ考えた。

実は明後日、「あいつアニソンしか歌わねえ」と僕をネタにする友達とカラオケに行く予定がある。僕はさっきまで明後日のカラオケに備えて、アニソン以外にも歌える曲を作ろうと思い、CDをレンタルしてそのCDをヘビロテしていたのだ。でも正直ダルいし「ここまでして俺は普通の曲が歌えるようになりたいのか?」と疑問になり、苦痛でしかならないヘビロテをやめた。

「あいつアニソンしか歌わねえ」とネタにされたとき、友達は笑いの種になると思って話していたのかもしれないが、僕としてはかなりショックだった。それはそれまで自分も薄々気が付いていたことを、友達に指摘されたからだろう。「トレンディな曲を歌えるようにならなくちゃ」と思っていた矢先に言われたから。

でも、そのコンプレックスを克服しようと頑張っている自分がバガバカしくなった。1ミリも「良い曲だ」と思えない曲をイヤホンで強制的に脳に叩き込むという苦痛でしかない作業、なんだよこれ。

もういっそ「トレンディな曲を全く知らない人」という自分で生きた方がよっぽどマシなんじゃないか。なんて思い始めた。

気にしたら負け!
色んな所で僕は「気にしたら負け!」と自分に言い聞かせてきたが、今回も自分にコレを発動しようと思う。

アイドルマスターけいおん!ボーカロイド、別にいいよ。無理して好きでもないトレンディな曲を歌うよりよっぽどマシ。友達が星野源を歌っている横で僕は電波系のアニソンを熱唱する。

他人から見たら「逃げている」だけなのかもしれない。いや僕もそう思う。でも、辛いことにはプライドを捨てて逃げるのもアリなんじゃないの?僕は元々プライドはないし、友達も少ないし、今回は失う物は少なく済むし、ベストソリューションなんじゃないでしょうか。

オシャレになれない

オシャレのセンスが無くて困っている。先日友達と遊んだときに服屋にいったのだが、僕は服屋になんて滅多に行かないのでどの服が良いのかわからないし、友達は熱心に服を選んでいて相手にしてくれないし、1人でしょんぼりしていた。「オシャレな奴と僕は住む世界が違うんだ」なんて思ってしまって、家に帰ってものすごくショックになってしまった。普段、寝癖なんか気にしないで、顔も洗わないで家を出る僕なのにね。


今まで人間的なことをあまりやらなかったのだろうか。カラオケに行ってもアニソン以外で歌える曲はほとんどないし、好きなアーティストができても怖くてライブに行けない。「自分で自分の服をお店で選ぶ」なんてこともほとんどなかった。そんな日々を過ごしてきて今日、「このままじゃヤバい」というとてつもない危機感が襲ってきた。


高校生の頃に付き合ってた元カノの今の写真を見たが、めちゃくちゃオシャレになっていた。僕と付き合っていたころは深夜アニメとかボーカロイドとかが好きで服装はあんまり気にしない人だったので、ビックリ。


僕と仲の良くしてくれる高校の友達も、アニメとかの話はするのだが、カラオケでアニソンを歌うことはない。みんなBackNumberとかサカナクションとかミスチルとか今時でトレンディーな曲を歌っているのだ。でも僕はトレンディーなアーティストの曲は一曲も知らない。


なんだか僕だけ置いてけぼりにされている感じ。いや僕が勝手に思っているだけなんだけどね。人間には「オシャレなんか人生の中で重要じゃない」って人や「トレンドなんかに乗らなくたっていいや」って人もたくさんいることは分かっているが、僕は気にしなさすぎだった。


ファッション雑誌を立ち読みしても「カッコイイ」と思えない自分がいる、でも今の僕の服はダサいと思っている。はやりのバンドの曲をカラオケで歌えないとマズいと思っている自分がいる、でも1ミリも「良い曲だ」と思えていない自分がいる。


「人生で重要なもの」が何なのか分からなくなってきた。今まではアニメを見ていれば幸せでアニメが重要だったのだが、人間的(服装に気を使ったり、はやりの曲を知っていたりする)な人間になるのが重要なんじゃないかと思い始めた19の冬でした。

希望はあるか?

センタープレテスト(センター試験形式の模試)をやってきた。自己採点結果は僕にとっては悪いものではなかったのだが、挫折というか悔しさというか虚しさがこみ上げてきた。

僕には2歳年下(現高2)で中高一貫校に通っている友達がいるのだが、そいつもセンタープレを受けたのだ。んで、自己採点結果を見せ合ったのだが、明らかに僕が負けていたのだ。合計50点くらい。

4月から、たまにカラオケに行ったりはしたものの、浪人してがんばってきたのに2歳年下にあっさり負けてしまった。

僕は小さい頃から勉強の成績が悪かった。運動も出来なかった。人に誇れるものが何もないのだ。親が教育熱心で小さい頃から学習塾には行っていたものの、それでさえ平均れべるだった。だからたまに「俺って塾に行ってなかったら、完全に落ちこぼれてたわ」なんて思うこともある。

4月に高い目標を掲げて希望に満ちあふれていた僕は、ここまで廃れてしまったのかと思うと、ただつらいばかりだ。

これは受験期で心が不安定になっているから思っているのではない、昔から思っていたことだ。

去年よりは成長している自分ではあるが、それと同時に沢山の人に抜かされてきた僕。気合いがな足りない?そんなことはないと思う。


希望はあるか?

ありません。でも、やるしかないよね。
これから、泥沼でビリ争いをするような戦いになりそうです。

気が向かない

「気が向いたら書いてあげる」なんて言っているが、最近、気が向かないのだ。文章を書いても途中で嫌になりボツにしてしまう。

浪人中なもんで、受験のピリピリした気分に僕もなってしまったのかな。

平日、授業を抜け出してカラオケに行ったり東京駅のアイドルマスターの広告を見に行ったりしていた。
f:id:KIPPLE:20151129193455j:image
(その時の写真、恥ずかしくてじっくり撮影は出来なかった…)

なんだか、がんばれなくなっちゃった。何もやる気が起きないというか、気力がないのか。

もう勉強するには、エロ本とラーメン二郎でストレス発散しないとやっていけない。

2浪は絶対にムリ、浪人辛すぎ。

頑張って国立大に合格せねば

ちと更新ペース下がるかもです

才能

絵が上手い人、音楽的な才能がある人、面白い文章が書ける人、スポーツ神経がある人には無条件でスゴいと思ってしまう。これは才能というやつだろう、才能がないと上手にできない。僕には何の才能もないから、持っている人は輝いて見える。

というような話を、知り合いのWebデザイナーにしたら「才能は『あるorなし』じゃなくて、磨いていくものだよ。」と言われてしまった。うー。

何の才能もない僕も、今まで何かに対して才能を磨こうと努力したことはあったのだ。学校の部活でやっていたテニスとバドミントン、そして中学校まで習っていたピアノ、そして学校のお勉強。でも全部ダメだった。僕より後に始めた人が、気が付いたら僕より上手くなってるなんてことが結構あった。

だから、たとえ才能が『あるorなし』ではなくて『磨くもの』だとしても、磨きやすさというものがあるのだろう。んで、その磨きやすさが「センス」ってやつだろう。

ただ僕には「センスがあるね」と言われた記憶もないのだ。ましてや「センスないね」って言われた記憶が大量にある。料理、オシャレ、ギター、サッカー。

ややこしくなるが「センスの磨き方」って無いだろうか。つまり「『才能の磨きやすさ』の磨き方」。なんだか無限に続きそう。

あれ、才能が磨くものだとしても、磨きやすさ(つまり上達しやすさ)があるから、結局ダメな奴はダメなんじゃないかとも思う。

小学生の頃、母は僕の長所として「何事もゆっくりではあるが、最後まで諦めない」ということを通知表の通信欄に書いていた。これって「ウチの子は何の才能もありません」って言っているようなもんだよな。

もう才能のことは諦めますわ。

平日の昼間から

久しぶりに授業に遅刻した。いつもより30分くらい遅く起きて、なんだかやる気もでないし、もういいや、というカンジで遅刻した。

授業中の教室を後ろのドアから静かに入る。一番後ろの席に座る。夏休みが終わった頃は遅刻しまくっていたから、遅刻することには慣れているつもりだったけど、なんだか不思議な感覚になってきた。

一番後ろの席だと視力が悪くて黒板がほとんど読めない。やる気も湧いてこない。もういいや今日はサボろう、ってことで平日の昼間から予備校の近所を散歩したり、公園でボーッとしている。お金はないからカラオケなんて行けない。

神社に行って、駄菓子屋に行って、イチョウ並木を歩いて、ホームレスがたくさんいる公園のベンチで無心になった。

自分でもビックリするくらい今日はやる気がおきない。平日の昼間、みんなはやるべきことがあって一生懸命やっているのに、僕はのどかな住宅街を歩いた後、公園のベンチでブログを書いている。不思議な気持ち。空でヘリコプターがバリバリ音をたてている。横で中国人のカップルがイチャイチャしている。

来週は模試があるのに、ずっとボーッとしている。「気が向いたら書いてあげる」とか言ってるが、本当は今は気が向いていない。

このままじゃ大学に落ちるのは分かっているが、熱意が出てこない。なんだかなぁ……

お金で人間性がわかる

CoCo壱番屋がハウス食品の子会社になるのは有名な話だが、ココイチ創始者は株を売却して220億円を得るらしい。

ココイチの創業者は宗次徳二・直美夫妻。夫妻の資産管理会社で筆頭株主であるベストライフの保有分を含む23.17%相当分について、ハウスGはTOB(株式公開買付)に応じる。夫妻は単純計算で220億円のキャッシュを手にすることになる。
今回、壱番屋の株式売却で手にした220億円を基金として財団をつくり、ボランティア活動に充てることになる。

ビジネスジャーナル2015年11月15日 より)


引用元にココイチ創始者である宗次さんの人間性とかがかいてあっておもしろい。別に僕は「自己啓発本」とか「成功者の話」とかが好きな人間ではないけど、今回に関しては全部読んでしまった。


自分が67歳で220億も収入が入ってきたらどうするだろうと考えてみる。たぶん、死ぬまで毎日風俗通いかなあ。


と考えて、自分のクズさにウンザリした。やっぱり成功する人は違うな。ノーベル賞のおじさんも賞金を社会貢献に使っているし。きっと俺は死ぬまで底辺暮らしですわ。


「お金が欲しい、働きたくないけどお金がたくさん欲しい」と常日頃から思っている僕には、一発KOを食らった気持ちになった平日の昼間でした。

好きな建物

バトンリレー参加作品 お題「好きな建物

春のショットガンさんよりバトンを頂きました。
 
 
「好きな建物」ってお題で少し困った。今まで建物自体に注目したことなんて無かったから「好きな建物は何ですか?」って質問されてもスグには答えられないからだ。
 
試しに母と姉に「好きな建物は何?」と聞いてみた。「何でそんなこと聞くのよ」なんて言われたけど一応ちゃんと答えてくれた。母は平等院鳳凰堂、姉は東京タワー。理由は2人とも「なんとなく」とのこと。
 
建物に関する思い出なんかスグに思いつかない。一晩考えて、やっと思い出した。虎ノ門ヒルズを真下からみたときに、ビルの高さに驚いたことがある。「こんなに高いのに、よく重さで潰れたりしないな」とビックリしたものだ。そこで「将来は建築系の学部に進学するのもアリだな」と思ったっけ。下はそのとき思わず写真を撮ったもの。写真だとしょぼいけど間近で見るとスゴいよMAJIDE
f:id:KIPPLE:20151115194551j:image
 
あと、中学生の頃、美術の教科書に載っていたサグラダ・ファミリアをみて「すごい、生きてるうちに本物が見てみたいな」と思った事がある。
 
言語能力が無いので、どう感じたのか言葉に表せない。驚きというか、感嘆というか、そういうのが混ざってるカンジ。「ヤバい」ってやつ。
 
学校の図書館にあった写真集で見た、田無タワー(正式名:スカイタワー西東京)にも同じ間隔を抱いたことがある。
 
でも、どれも「好きな建物」って言うほどでもないな……
 
田舎者で、あまり多くの数の建物に出会ってないからだろうか、建物に関する思い出が少ない。
 
ただ小さい頃から、東京に行ってビルの高層階から外の風景を見るのが好きだった。東京タワーでも、東京都庁でも、サンシャイン60でも、大宮ソニックシティでも。だから敢えて好きな建物を挙げるとしたら「高いビル」かな。
 
 
本当はもっと熱く語りたかったけど、思うようにいかなくて、ごめんなさいね。建物の存在が当たり前すぎて、考えたこともなかった。でも、今まで考えたことのないことを考えるのって楽しい。
 
もっと、たくさん、いろんな経験をして、好きな建物を聞かれたら、心から即答できるようになりたいな。
 
 
このバトンをゆとり世代は四畳半の夢をみるか?の高岡さんに回します。
お題は「女の子の髪型」でよろしくおねがいします。
高岡さんには、「id:KIPPLEキップル)」というネームを使っている僕としては、勝手に親近感を味わっています(笑)*1高岡さんの文章、楽しみにしてます!

毎日がテスト期間

浪人しているので、いわば「毎日がテスト期間」だ。僕は4月からの一年間、受験勉強だけしていればいいのだ。でも思うように行動に移せない、人間だもの。


高校のテスト期間の思い出が頭をよぎる。テスト期間って異様に「やりたいこと」が出てくるよね。たとえば僕はテスト期間に小説を書いたことがある。「やらなくちゃいけないこと」から逃げて好きなことをやるのって楽しい。授業中にとる睡眠と同じくらい気持ちいい。


兎にも角にも、「毎日がテスト期間」である僕には「やりたいこと」がドンドン湧いてくるのだ。まさに「あれもしたい、これもしたい」という状態。

夢


「大学に入ったらアレもやろうコレもやろう、ウフフ」なんて夢を膨らませているけど、現役で大学に進学した友達をみていると高校時代に言っていた夢を実現した人はいないので、どうやら夢は叶うことなく夢のままで終わってしまうようだ。


バイクに乗ったり、クロスバイクを買ったり、一眼カメラを買ったり、ドールを買ったり、大好きなエロ本を集めたり、留学したりしたいのだけれど、叶うとしても1つだけだろう。時間もお金も限りがあるのだから、何かを削らなくてはいけないのは分かっているけど辛い。「どれかを選ぶなんてできないよ」というのが今の気持ち。


大学に進学したら、今の夢はどのくらい叶っているのだろうか。今は勉強に専念しなくちゃいけないのに、こういう時こそ、やりたいことがドンドン出てきちゃうんだよなぁ……


マシュマロ実験(マシュマロじっけん)、またはマシュマロ・テストとは、子ども時代の自制心と、将来の社会的成果の関連性を調査した著名な実験。スタンフォード大学の心理学者・ウォルター・ミシェル(英語版)が1960年代後半から1970年代前半にかけて実施した。
幼稚園の4才の子ども186人が実験に参加した。被験者である子どもは、気が散るようなものが何もない机と椅子だけの部屋に通され、椅子に座るよう言われる。机の上には皿があり、マシュマロが一個載っている。実験者は「私はちょっと用がある。それはキミにあげるけど、私が戻ってくるまで15分の間食べるのを我慢してたら、マシュマロをもうひとつあげる。私がいない間にそれを食べたら、ふたつ目はなしだよ」と言って部屋を出ていく。
子どもたちの行動は、隠しカメラで記録された。1人だけ部屋に残された子どもたちは、自分のお下げを引っ張ったり、机を蹴ったりして目の前の誘惑に抵抗した。小さな縫いぐるみのようにマシュマロをなでたり、匂いをかぐ者もいた。目をふさいだり、椅子を後ろ向きにしてマシュマロを見ないようにする者もいた。映像を分析した結果、マシュマロを見つめたり、触ったりする子どもは結局食べてしまう率が高いこと、我慢できた子どもは目をそらしたり、後ろを向いたりして、むしろマシュマロから注意を逸らそうとする傾向があることが観察された。すぐ手を出してマシュマロを食べた子供は少なかったが、最後まで我慢し通して2個目のマシュマロを手に入れた子どもは、1/3ほどであった。

マシュマロ実験 - Wikipedia より)


僕はいま、まさにこのマシュマロ実験の被験者なんじゃないかと思ってしまう。未来を妄想して一時の快楽を得るのか、勉強して永遠の幸せを手に入れるのか。上記の引用を読むと、妄想なんかせずに頭の中から「未来のやりたいこと」を消し去るべきなのだが、難しいんだよなあ。


誘惑に負けたら落ちる、とりあえず妄想をやめるところから始めますかね。