自己分析のための日記

浪人に失敗し底辺大学へ通っていた男が書いてます

欲しかった "孤独" という環境

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最近、本当に人と話さなくなった。きょう人と話したのは、近所の喫茶店で僕にミルクティーを出してくれたお姉さんに「ありがとうございます」と言っただけ。大学も卒業単位は取れているから行く頻度がかなり低いし、わずかに履修している授業も知り合いと被っていないから、大学でも人と話さない。

実家に住んでいるのだけど、一緒に住んでいる母親とはもう3ヶ月以上話していない。僕は今就活中なのだけど、母親はそんな僕に対して「お前、高校受験も大学受験も失敗しただろ。次は無いからな」というようなことを言ってくる。僕もそんなこと分かっているのに、なんでわざわざそんなこと言って不安を煽るのかなぁ、なんて思ってしまって、つらいから話さなくなった。

母親は「絶対大手企業主義*1」で、まあニッコマレベルの僕には難易度の高い話。僕は大学でコンピュータサイエンスを勉強していて、就職もIT企業を考えているのだけど、母親はパソコンもスマホも使えない60代のおばあちゃんなので、有名なIT企業でさえ名前を知らないと思う。GoogleとかYahoo!なんて絶対に知らないだろう。NEC富士通,日立といった日本に昔からある企業しか知らないと思われる。となると、万一、僕が大手企業に入れたとしても母親は僕に対して文句を言ってくるに決まっている。つらい。

 就職活動はつらいのだけど、それについて書くと「自分には何も取り柄の無いダメな人間だ」というようなメンヘラじみた文章にしかならない気がするから今日は止めておく。

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上に書いたように、いま僕は限りなく孤独な日々を過ごしている。いま、それを実は「寂しい」と思っているのだけど、考えてみたら今の状態は昔の僕が望んていた環境だったと気がついた。

中学も高校時代も僕に仲の良い友達はいなかった。でも、虐められていたり、変わり者であったりしたわけでは無いと思う。学校に行けばクラスではよく話す人がいたし、部活でもみんなと仲が良かった。でも当時の僕は「仲の良い友達はいない」と感じていたし、本当にそうであったと思う。

そのような環境の理由を僕は「一緒にいるとお互いに都合がいいから一緒にいるだけだった」と考えている。仲の良い友達なら、休日は一緒にカラオケやボーリングに行ったりして遊ぶのだと思うが、僕の場合はそのようなことは一度もなかった。でも周りの人間はそういうことをしていた。クラスの人も、一緒の部活の人も、みんな僕よりも仲の良い人がいたのだ。

 そういう環境がつらくて「いっそ、ひとりぼっちになりたい」と思っていた。でもそれは現実にはできないでいた。例えば、体育の授業とかで「体操をするので、二人組のペアになってください」って言われるかもしれないし、修学旅行の部屋を決めで、自分だけ誰とも組めなくて最後まで残るなんてことになったら最悪だからだ。

大学生の今は、そういった友達がいないことによる障害が無いように感じる。授業は友達と一緒に受ける必要なんて無いし、学食でひとりぼっちでご飯を食べているからといって「変な人」と思われるようなことはないからだ。

だから大学生になったときメッチャ嬉しかった。「もう面倒な人間関係なんて必要ないんだ。別に『友達の数が自分の価値を決める』なんてことはないんだし、これからは人間関係のことは考えずにノビノビと生きていこう」と思った。

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しかしながら、あろうことか今は「孤独つらい」と思ってしまっている。昔の自分が望んでいた環境なのに。なんなのだろう。誰でもいいから話し相手がほしい。マジで就活つらいから、つらいことを話せたり共感することができる友達がほしいなんて思ってしまっている。結局、ないものねだりなのかもしれない。

根本的な解決策は「仲の良い友達」を作ることなのだと思う。このブログを読んでいる人は「仲の良い友達」は何人いますか。というか「仲の良い友達」ってどうやって作るのだろう。

*1:僕が勝手に命名した。「大手企業以外への就職は認めない」という考えを持った人のこと。