自己分析のための日記

浪人に失敗し底辺大学へ通っていた男が書いてます

20歳になった

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20歳になった。つまり20年前の1996年に僕は生まれたのだ。

日本においては20歳というのにある程度の価値があるように思える。酒・タバコが許されるし、年金だって納めなくてはいけなくなる。「はたち」という言葉もあるし、20歳とは一定の節目と言えるだろう。

そんな節目の年齢になれて「うれしー!」という気持ちなのか自分に問うけど、なんともモヤモヤした気持ちがあって喜べない。20年というのは、とても長いけど、20年生きれば誰でも「20歳」という称号は得られる。「ああ、もう自分はここまで来てしまったんだな」というカンジ。

 

小学1年生のとき、6年生はとっても大人にみえた。背は高いし、当時の僕にとって彼らは頭が良いし力もあるし優しいから「スゴい人」と思っていた。自分も6年生になったりあんな存在になれるのだろうなとも思っていた。でも実際に自分が6年生になってみると、小学6年生というのは思ってたほど大したものではなかった。

中学生のときは高校生が大人にみえた。でも実際に自分が高校生になってみると、大したものではなかった。

今だって、これらと同様のことが起きている。今までの僕には「20歳」というのがとても大人に見えていた。でも、こうして自分が実際になってみると20歳というのは全然すごくなくて、まだまだ子供だと思っている。こういうのって無限にループしていくのだろうか。僕はいつになったら大人になれるのだろう……

 

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幼稚園に通ってたとき、僕は20歳の自分はもっとすごい存在になっていると思っていた。頭が良くて、何でもできて、毎日に余裕があって、とにかく大人。弁護士だったり、医者であったり、超一流企業に勤務するレベルの人だったりといったエリートになっているだろうと思っていたと思う、マジで。教育熱心な母親に洗脳されていたからだろうけど。

しかし実際、今の僕は頭は普通以下のレベルだ。「一浪してニッコマに通っている」とか夢にも思っていなかった。

 

たまーに、ふと、「僕はどこで人生のレールを踏み外したのだろう」と考えることがある。人生をどこからやり直せば、幼稚園児の僕が想像していた僕になれていたのだろう。考えたって無駄だということは分かっているのだけれど、最近1人になるとつい考えてしまう。

 

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20歳の誕生日は特別なことは起きなくて、いつもどおりの1日だった。

父親も祖父も祖母もとっくに死んでいるけど、もしまだ生きていたら喜んでくれていたのかな?大学の友達で「20歳の誕生日に父親と酒を飲んで語り合った!」と言ってた人がいた。僕の父親も生きていたらそんなことをしてくれたのだろうか。もしやっていたら、どんなことを話してくれたのだろう。

というより、他界していった父親と祖父母は生きていたら「1浪してニッコマ」という現状の僕にどう思うだろう。父親は怒って「もう一年浪人しろ!」って言うだろうなー。祖父母は僕には直接言ったりしないけど、母親に不満をこぼすだろうな。

 

オリンピック選手が日本を出発するときのインタビューで「今までお世話の人たちのためにも頑張ろうと思います」という風なことを言っている人がよくいるけど、なんとなく気持ちが分かった気がする。今までは「建前で言ってるのだろう」と思ってたけど、今ならアレは本音を言ってるのだろうと分かる。

今こうして最悪な毎日を送っていると、今までお世話になったり応援してくれた人たちに申し訳なくなってくるもん。

 

でも今後の人生をこの申し訳ない気持ちをずっと背負って生きていくわけにはいかない。どこかで妥協したりして自分を受け入れないといけない。でも今のところ、そんなこと出来そうにない。

20歳って、こんなものなのかなぁ。。。