自己分析のための日記

浪人に失敗し底辺大学へ通っていた男が書いてます

言ってることとやってることが違いすぎて笑うよね

これまでの人生をふりかえり、僕か今までやってきたことと言っていたことが違いすぎて情けなくなってきた。

つい先ほど起こった出来事を例に挙げると、僕のオシャレ願望と服屋さんでの振る舞いの違いだ。僕は普段「普通レベルのオシャレでいいからなりたい」という願望を言っている。ファッション雑誌に載るほどなんて望まないから、街中を歩いて誰にも何とも思われないレベルの服を着こなせるようになりたい、という意味だ。

でも実際はその ”普通レベルのオシャレ” になるために、オシャレな服屋へ1人で行くとビビって大変なことになる。入るだけでも勇気がいるのに、店員が近づいてくるとやばい。普段の生活では僕と住む世界が全く違う超オシャレな格好をした店員と話すのは、そこはかとないストレスが生まれる。だから店の中では変な汗をダラダラと流しながら「頼むから店員来ないでくれ!」と祈っている。そんなことをしているし、結局俺には服のセンスが無いから、お世辞にもオシャレとは言えない服を着ている。現実世界の僕の服装は正直見ていられないものだ。「理系男子」といえば伝わりやすいだろうか。見た人が「こいつ、絶対、恋愛経験ないだろ」と思うような無様な格好をしている。でもそれを自覚しているから「普通レベルのオシャレになりたい」と言っているのだ。

僕の姉はこの願望に協力的で、たまに僕と一緒に服屋に行って服を選んでくれる。でもそのとき僕は姉が選んでくれる服を受容するだけで、オシャレになりたいと言ってるけど、自分で服を選ぶということはしないのだ。いや、センスがなさすぎて選べないのだが、そんなの言い訳にすぎないよね。本当にオシャレになりたいのなら、必死に勉強してある程度、服を選ぶセンスが育っているだろうし。

 

このように「言ってることとやってることが違う」ということが僕の身の回りにはたくさん発生しているのだ。こんなこと数え上げればキリがない。筑波大に行きたいとか言っていたのにニッコマレベルのFランにしか合格できなかった大学受験、夏休みにがんばるぞ!と言ったけど全く手を付けていない資格の勉強、英語が堪能になりたいとかいっているのに目標にほとんど近づいていない英語学習。

少し前に「意識高い系」という言葉が流行った。「起業したい」という目標や、自己啓発書を読んだりセミナーや勉強会に行ったりということをSNSなどで報告して「意識高い雰囲気」を出しているけれど、実際には実態が伴っていない人をバカにするスラングだ。僕も自分のことをSNSで言ったりはしないものの、本質は意識高い系の人と同じかもしれない。だって、どちらも「行っていることと現実が違う」ってことだもんね。

この言葉が流行ったとき、僕は周りにいた意識高い系の人たちを馬鹿にしていた。でも「お前のことや!鏡や!!!」って話ですよね。

 

自分がクズすぎて、これはさすがに笑うレベルだわ。